大学4年間とは

大学生活はあと1年残っているが、周りが卒業式を迎え、4年間の振り返りをしているので、私も振り返らずにはいられない。

他人のSNSの投稿というのは、まあまあ眩しい。
たぶん、自分が幸せになれる投稿が2割、どうも思わない投稿(情報収集系含む)が6割、眩しく感じる投稿は2割くらい。
ミュートすれば、見たいものだけ見れるようになる。
でも、月に振り込まれる奨学金と貯金の切り崩しだけで生活する今は、親しい友達が購入したイヴ・サンローランの紙袋すら、やや眩しい。

でもやっぱり、みんなの袴姿やスーツ姿の写真は見たい。
それに加えて、卒業後はどうします〜的な、みんなのアップデート記事も読みたい。
しばらく会っていない友達が、今どうしているか・どんなこと考えているかを知れるのは基本的には面白いし、自分の心が落ち着いている時はハッピーな気持ちになれる。

ハッピーな気持ちになれる、、、はずなのに

みんなの投稿をみていて羨ましかった。大学に通えて心からよかったと思えていることが。
しかもそれらの投稿はフェイクではなくて(たぶん)、あぁこの人本当に楽しかったんだろうなぁと、心に伝わってくる「良い」投稿だから。


なぜ辛いのかといえば、私はそんなふうに感じることができていないからだと思う。
人に話せば、いろんなことをやってるじゃないか、良い研究室にいるじゃないか、良い大学を卒業できてよかったじゃないか、なんて言われるかもしれない。自分の大学生活に全く後悔を感じないのに、なぜ満たされた感覚・やり切った感覚になれないんだろう。高校を卒業した時には、↑の彼らみたいに清々しく、新生活に対する期待に胸をふくらませながら、卒業を迎えていたのに。

何が自分の大学生活を曇らせているんだろう。いつも自分の気持ちに素直に行動してきたはずなのに。


そして、その正体がわかった。

私の4年間の大学生活は、私はダメな人間ですと教え込まれた場だった。

先ほど、私の一番の理解者である友人に、大量のアドバイスをもらって心がやられていた。アドバイスは私が作ったものに対するものだった。だから、そんなに落ち込む必要はない。でも、アドバイスを思い出しては、「自分はダメな人間だ」と思い込んでしまう(take it personally してしまう)。

それは多分、自分のことを「ダメな人間」として見てしまっているからだと思う。「伸び代のある人間」とも捉えることができるはずなのに、私は前者になってしまう。

それはこの大学生活4年間で、自分はダメな人間だと教え込まれたからじゃないかという結論が先程出た!

直近で一番ダイレクトなものは、去年愛媛県で生活していた時のこと。

あんたは中途半端な生き方をしている。そんなんじゃダメだ

このままではあなたは社会で生きていく上で苦労するよ。

あなたは人を見下した目をしています。

やばい〜〜〜〜〜!文字に書き起こすとやばすぎる。しかも、これを尼さん、居酒屋チェーンの創始者NPO系で「人/地球のため」に仕事してる大人から言われたんですよ。
いくら、あんたは私の何を知っているんだ!?と怒っても、傷つく。
あなたはこれ、若者にアドバイスするためじゃなくて、傷つけるために言ってますよね?って、当時は悲しみと怒りに暮れながらただただ泣いていた。